2024年からゆうけあ相河の施設長を務めている木村と申します。
私は看護学校を出た直後から、看護師として長く金沢有松病院に勤務してきました。実はその間一度だけ病院を辞め、別の職場に転職していた時期があります。時は2000年、ちょうど介護保険制度がスタートしたタイミング。「ちょっと新しい世界も見てみたい」という軽い気持ちで飛び込んだのが、まさに介護事業をおこなっている会社でした。
当時の私はサービス担当責任者として各ご家庭とヘルパーの派遣契約を結び、ヘルパー業務のサポートを行っていました。その中で感じたのは「どうして介護する人もされる人も、なんとなく日陰にいるんだろう」ということ。老いたり認知症になったりすることは、人間にとって避けがたい現象。なのに、それが一軒一軒の家の中でどこか秘匿されている雰囲気。こうした空気は今でこそだいぶ薄くなりましたが、あの時はそんな空気に対してうまく立ち向かえない自分に無力感も感じていました。
その後、「自分は看護師なのだから、やはりもう一度医療のアプローチに戻ろう」と思い、金沢有松病院の持つデイケアの部門に復職しました。そこでベテランの作業療法士の先生から大切なことを教わります。「日常の些細なことをよく観察し、医療知識と照らし合わせることで、病気の進行やその兆候を見極めることができる。それが専門性なんです」。この言葉がターニングポイントになり、実際のスキルの習得に向き合い始めた時から、私の中での介護の意義が本当の意味で育ち始めました。そして「自分にもできることがある」という小さな自信、そして感謝された時の手応えを積み重ねて今日に至ります。
ゆうけあ相河には、自分なりの介護の理想を持つ職員が多く集まっています。心優しい人が多いのも私が相河を誇りに思う点の一つです。最初から何もかもできる必要はありません。多数のユニットを持ち、また病院のバックアップもある相河の環境を活かし、是非とも楽しい気持ちでいろんなことに挑戦していただければと思います。困ったことがあれば一人で抱え込まず、なんでも相談してください。
「私は介護士」と胸を張ってイキイキと生きる人がこの施設にあふれ、一人ひとりの生き方が社会まで照らしていく。そんな未来を心から願っています。
ゆうけあ相河 施設長
木村和美
「相河」の由来
ちょっと変わった施設の名前。「あいこ」とすぐに読めない人もいらっしゃるかもしれませんね。実は、施設のある一帯はかつて戦国時代の代官である相河氏の所領で、現在の西泉の南側エリアはその名をとって”相河”と呼ばれていたそうです。この施設をつくる時、「地域の皆さんにとってなじみのある名前にしたいなぁ」と考えを巡らせていたところ、地域の公民館の職員の方から「相河はどう?このあたりの人ならみんなわかるよ!」とご提案いただきました。冬の大雪の時でもあたたかい湧水のおかげで雪が積もらず、たくさんの人や野鳥が恵みを求めて集まってきたこの地域。その古い名にあやかり、「地域のお年寄りやご家族を支える福祉拠点として、大勢の人が集まってくれる施設になりますように」と「ゆうけあ相河」は誕生しました。今では「あかるく いっしょうけんめい こころをこめて」の頭文字としても親しまれています!